アリシアの森(8)違いがあれど研究会

昨日のブログ『アリシアの森(7)出会い』に登場した中村穣さんがFacebookに嬉しいコメントを投稿してくださいました。

以下穣さんのコメントからの抜粋です。

私がこの企画をすごく気に入ったのは、この森の在り方。
私たちって同じ目標や同じ事柄どうしで繋がることはあります。
でも、違いがある場所って何となくぎくしゃくしますよね。
この森はこの違いがあれどってところが素敵ではないですか。
とにかく主にあって繋がろう。これができる。最高だ!
是非、皆さん、ご協力ください。

最近心にかかっていることがあります。それをひと言で言うならば「分断」です。ひとつのテーマがあり、仮にその答えがひとつだとしても、その答えを導くために反対意見を持っている人を徹底的に叩いてゆく。このような風潮に僕はシンプルに悲しさを覚えます。

聖書にこんなことばがあります。

あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか。(伝道者の書7章15節)

僕は時々この「あなたは正しすぎてはならない」ということばを思い返すことがあります。正しすぎるというのは自分を神の座に置くことに近い感じがします。様々な専門的な知見により将来のことを予測し備えることができる時代になりましたが、所詮人のやることですからどこまで行っても完全であるわけがありません。僕自身も「必ず・・・」や「完全に・・・」を口にし始めたら自分を神の座に置き初めているのかもしれないと自戒せなばならないでしょう。

怒られるかもしれませんが、僕は全てのことに答えが必要だとは思っていません。ましてや二元論的に答えをAかBかに落とし込む必要などないと思います。なにかと物事をはっきりさせたいというのは、ひょっとしたら限界を抱えて生きている人間の大きな誘惑のひとつである可能性さえあると思います。

すみません。理屈っぽくなってしまいました。

『アリシアの森』はそんなに難しい森ではありません(汗)。小動物や鳥たちが喜んで集まってくれるような優しい場所でありたいと願います。穣さんのことばを借りれば「違いがあれど研究会」みたいな森と言っても良いのかもしれません。何かが違っても一緒にいたくありませんか。