神の物語

昨日の大阪のM中学と高校でのコンサートは無事に終えることができて心からホッとしています。どうして心からが付いているかと言いますと責任が大きく感じるからです。

まずは宗教講演会であることです。普段のライブとはちょっと違います。そして中学生、高校生の皆さんを前にすることです。間違ったことをキリスト教はもちろん、人生についても間違った印象付けをしてはいけないし、ましてや虚飾もいけません。若者は本能的に嘘か真実かを嗅ぎ分けると思います。

そして授業の時間をコンサートに割り当てますので時間制限があるということです。多少時間に余裕がある時には前にあげた条件をクリアすることのハードルが下がります。でも決まった時間内にそれを満たそうとすると、無駄や脱線はゆるされないので緊張するわけです。40分のコンサートを2回しましたが幸いにもコンサート中に終業のチャイムが鳴ることはありませんでした。

今回無事に終えられたのには音響スタッフの働きを外すわけにはいきません。一番好きな音を作ってくれるエンジニアとチームが関東からこのために出かけてくれました。過不足ない音作りをしてくれて、演奏に集中することができました。

前にも書いたと思いますが、今回のコンサートの計画が始まったのはアリシアの森での出会いからなんです。森で出会わなければなかったコンサートでした。

最近「神の物語」ということを改めて考えるようになりました。「神の物語」と言えばまずは聖書は神の物語だということですが、僕は今の僕の暮らしの中の神の物語を意識するようになったということです。

このコンサートへの道筋がアリアシアの森で生まれたこと。そして1ヶ月ほど前に青山学院大学のチャペルで歌う機会がありましたが、その時に準備したことが今回のコンサートの基礎になったことなどなど、何か僕があれやこれやとしていることとは別に大きな物語があるということを意識し始めたということです。神様は全てのことを益としてくださる、という有名な聖書のみことばがありますが、そこに秘められていることが少し紐解かれてきているような感じとでもいいましょうか。なんだかまた生きていることが面白くなってきました。

そしてこういうのもあります。

 

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