めぐるものたちに

一片の雲を
うたうためだけの
一生があってもいい

先日旧来の友人から一冊の詩集が送られてきました。それは北原悠子さんの『めぐるものたちに』という詩集でした。友人が装丁を施したということで贈呈をしてくれたんです。こうしたことでしかあり得ない出会いがあるのでとてもありがたいことです。

冒頭のことばはもちろん詩集の中の一節です。しかもカッコで括られたところに記されていたことばです。

一片の雲を
うたうためだけの
一生があってもいい

僕は時に多くのことを求めすぎて、多くのことをやりすぎて、アップアップすることがあります。一片の雲と人の一生を天秤にかけることはできませんが、もしかけてみたらどんなふうに天秤が傾くのでしょうか。それは人によって違うことでしょうが、雲をうたうために一生を捧げるという人は多分いないでしょう。しかし沢山の歌を作り歌ってきた自分が一片の雲を歌い切ることができたのかと言えばそんなことはありません。雲の何たるかさへ知ってはいません。

時々僕はメロディーとことばのどちらが自分にとって重要なんだろうかと考えることがあります。僕はことばが好きです。しかし残念ながら詩人のようにことばを紡ぐことはできません。詩を書くということは、ことばを彫刻して音楽の形にしてしまうことに近いのかもしれません・・・。なんて次第にわからない世界へ突入してしまいそうになります。すぐれた詩人のことばに触れると僕はいつもこんな感じに頭がぐるぐる回ってまいます。知恵の目眩なのかな。

ところでこの詩集は和のテイストがさりげなくて、詩はもちろんのこと挿絵から装丁まで全てが素敵です。最初に手に取った時に紙帯は朱鷺色なのかなと思いましたが、調べてみるとそうではないようです。紙帯のベースは浅蘇芳でテキストは深蘇芳なのかな・・・、なんて調べてみたりして・・・。

いやいやそんなことはしないで、この詩集にしばし身を沈めるのが良いですね。