もし・・・
昨日は羊のことを書きました。「羊に戻ろう」です。羊は近視眼で弱く臆病・・・、と普通に考えればマイナスなことばかり備わっている動物です。僕はその中でも特に近視眼に注目しています。
僕たちは視力が低下するとメガネをかけます。それで暮らしは楽になりますが、一番見たいのは先のことでしょう。もし先のことがわかれば生活設計もかなり具体的に考えられます。でも見えた先のことが思い通りならば良いですが、そうでない場合は不安に押しつぶされてしまうかもしれません。
先のことがわからないのは神の恩寵と言っても良いのかもしれません。僕たちは先の人生を抱えて生きられるほど強くはないのです。
ここでこのことをグッと引き寄せますが、これは音楽をスルことにも関わっています。演奏をする者としては楽曲を間違いなく演奏したいと思います。楽譜の読み方の基本は数小節先を読むことです。いま弾かなければいけない音はいま譜面で見ても弾けないからです。
僕のような歌うたいも、歌いながら曲の先のことを考えることがあります。歌詞カードや譜面を見ていれば先を確認をすれば良いのですが、見ずに覚えて歌っている場合には、もし先の和音や歌詞が分からなければ脳内パニックを起こしてしまいます。
この秋から自分でチャレンジしていることは、まず譜面を見ることをやめること。歌いながら先のことを考えないことです。これは家では簡単にできますが、コンサートではなかなかハードルが高いんです。どんなハードルかというと、不安というハードルです。
それは「もし・・・」というとてもちっぽけな不安から始まります。「もし〇〇だったら・・・」と思ってしまうとその〇〇が次第に大きく育ってきて、やがては押しつぶされるほどになってしまいます。それに負けたら頭を抱え込んで座り込むしかないような恐れになってしまいます。
旧約聖書には大干魃の時に預言者エリヤが雨を降らせるために祈ったことが記されています。7度祈った時に祈りがきかれ、「手のひらほどの小さな雲」が起こり、やがてそれが空一面を覆い大雨となったとあります。この時の小さな雲は良い徴でしたが、僕は不安を感じる時にこの「手のひらほどの小さな雲」のことを思い出します。不安の小さな雲が空一面を覆ってしまったらもうどうしようもなくなってしまいます。
さあどうしたらその不安から解放されるのでしょうか。僕が試しているのは「今に居続ける」ことです。このことから「瞬間とは・・・」とか「刹那とは・・・」ということを考えるようになりました。
音楽では拍があります。1、2、3、4です。それは瞬間のようではありますが、実は一拍にも時間的な幅があります。なのでひょっとしら瞬間に入り込むことができるのではないか・・・、なんて考え始めているんです。これってちょっとやばいですか(汗)。
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