Singer Thinking Arekole Writer
昨日は友人たちとオンラインで語らい、夕方にブログを書こうかと思って机に向かいましたが、眠気がまとわりついてきて書くことができませんでした。まあこんな日もあら〜あなということで、クリスマスなのに久しぶりに書かない日となりました。
実は一昨日「羊に戻ろう」なんて書いてから、また新たに考えることが増えてしまいました。聖書の詩篇23篇に「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません」という有名なみことばがあります。僕はこの箇所から自分たちは羊だと再認識したのですが、ここには主は羊飼いとありますが、人が羊だとは書いてありません。
そこでもうひとつ思い浮かんだのが詩篇100篇の「私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である」というみことばです。ここでは羊であると書かれています。なので自分たちが羊であると考えることは、あながち間違ってはいないのかと思います。
さて羊は羊飼いの命令通りに動くだけで、何もしないのかと言うとそんなことはありません。日々、生活活動に勤しんでいます。僕は羊という動物になったことがないので良くはわかりません、基本は食べて、寝て、起きて、食べての繰り返しなのかなと思います。ただし同じ場所に居続けると食べる草がなくなるし、暮らしの中で発生する生活廃棄物で住みにくくなるでしょうから、快適な場所を求めて移動することでしょう。それが僕たちの仕事に似ているかもしれません。
しかし聖書は、主の牧場で暮らすことを推奨しています。もし現状よりも快適な牧場を夢見て冒険の旅に出たとしたら、その羊は群から離れて孤独な旅人になるか、別な羊飼いの羊になるかしかないかもしれません。これが現代の僕たちの姿、文化の一端を表しているかもしれません。
では同じ牧場に居続けたらどうなるのでしょうか。その広さにもよりますが、自分たちの廃棄物が自然由来のものである限りはやがて土になって、草を永久に芽生えさせるということになります。なので基本的な暮らしはできるわけです。そして襲ってくる外敵はもちろん、嵐や干魃からは羊飼いが守ってくれるでしょう。結局僕たちは自分の羊飼いに守られて生きるか、自己責任を引き受けながら荒野を行く勇者として生きるかの二択しかないのかもしれません・・・。
という具合に考えることが増えてしまったわけなんです。これは簡単にいうと軽いノイローゼ状態なんでしょうか。Singer Thinking Arekole Writerなんて言ってみます。羊よSong Writeをしろ!ですね。
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