再発転移の兆候なし

再発転移の兆候はなし

ここ数日由美子さんに微熱があって、昨日急遽主治医の先生に診ていただくことができました。胆管炎との診断で薬を処方していただき、現在は熱も下がって落ちついています。由美子さんは術後5年を目指しての経過観察中です。ちょうど今週月曜日にCTを撮り今日その結果を聞きに行く予定でした。しかし昨日診察をしていただいた時に前倒しで検査の結果も教えていただくことができました。結果は再発転移の兆候はなしとの嬉しい結果でした。経過観察中の方ならばどなたも同じですが、結果が出るまでの数日は不安で落ち着かないものです。ですから嬉しい結果で由美子さんは涙ぐんでいたようです。先生も一緒に喜んでくださいました。

膵癌とわかるまで

由美子さんの膵癌を見つけていただいたのは2023年10月24日のことでした。その時の診断は膵癌のステージ4。このまま治療をしなければ来年の桜は・・・、とのことでした。都内の病院でしたので、帰りの首都高を走りながら、あまりのショックにこのまま空へ飛び込んでしまいたいという思いが浮かんだことを覚えています。

そもそも地元の病院では過敏性腸症候群との診断で治療を続けていましたが、義妹の強い勧めもありセカンドオピニオンとして都内の病院で診ていただくことにしました。

以前別件で歌声ペトラの作詞者の関根一夫さんから、その病院の院長先生をご紹介いただいたことがあるので、思い切って院長先生にご相談したところ、緊急で診察を手配してくださり、10月10日に診ていただくことができました。そして異常が見つかり、午後には膵癌専門の先生がいらっしゃる系列の病院で再度診ていだくことになりました。そして12日から6日間の入院検査となり、膵癌のステージ4との診断が下ったのです。

ステージ4からの転院

ステージ4の場合は通院での抗癌剤治療となります。自宅から都内まではかなり時間がかかりますし、その頃は感染症の心配もあったので自宅から近い埼玉医大の国際医療センターに転院することにしました。こちらの病院では長女亜希子の執刀医であった先生が以前院長をされていて、ご挨拶に伺ったことがありました。もちろん膵癌治療での実績がある病院です。

再検査の結果

転院してから改めて検査をしていただいた結果はステージ2相当のステージ3という診断でした。2相当の3というのは癌の進行度としては2であるが、現状では手術ができないので3という診断です。4から2なのですから本来ならば少しは安心するところかもしれませんが、治療としては同じことなので、私たちの気持ち的には4と何も変わりませんでした。

抗癌剤治療開始

11月29日から点滴での抗癌剤治療が始まりました。年齢も年齢ですから通常の抗癌剤の8割の投与です。それでも血液検査の結果が思わしくなく2度ほど投与を見送りました。由美子さんは20年ほど前に乳癌でリンパの摘出手術をしていて、切除した側の腕からは点滴ができません。血管も細くなっていて投与の度に辛い思いをしていたようです。1月に入って点滴での治療継続のために皮下に埋め込むポートの手術が検討されて、1月30日に外科での診察が予定されていました。診察予定日の午前中に突然外科のお医者さんから家に電話が入ったんです。そして「癌が目に見えないくらい小さくなったので、病院としては手術を予定しています」とのお話でした。寝耳に水ってこんな時に使うことばではありませんが、お話を伺っても俄かには信じられない思いでした。

手術への戸惑い

そして病院の診察ではポートのことではなく、手術の説明をしていただくことになったんです。そしてなんとすでに2月14日に手術の予定も決まっていました。2時間近く手術の説明を伺いましたが、聞けば聞くほど怖くなってしまい。どうしたら良いのか迷ってしまいました。手術は膵臓はもちろん十二指腸や胆嚢や胃にまで及びます。予定通りに進んでも8時間はかかるとのこと。ひょっとしたらその日が僕たちの別れになってしまうのかもしれないと思うと決断は簡単ではありませんでした。しかしこのまま抗癌剤の治療を続けていても、やがてどうにもならなくなる時がやってくることはわかりました。

翌日は抗癌剤投与とメンタル(精神腫瘍科)の受診の日でした。抗癌剤の診察では先生が「この後の投与の予定は全部キャンセルしましたから」とおっしゃいました。そして「もし抗癌剤治療を続けても、今の薬が効かなくなったら、もう1種類しか薬はないんです。手術ができるのはチャンスですよ」とおっしゃいました。続けてメンタルの先生に正直に不安であることをお話しました。先生は「まず抗癌剤の主治医の先生がチャンスなんて言うのを聞いたことがないですよ」とおっしゃいました。そして「外科の先生は緻密な判断のもとに手術をするかどうかを決めるし、この病院の先生方は毎週その手術だけをしているので安心だと思いますよ」と言ってくださいました。こうして2人の先生に背中を押してもらって、僕たちは手術をしていただくことを決断しました。

手術はバレンタインデー

手術は2月14日の9時からです。病棟から手術室まではそばに付き添うことができました。エレベーターの中で由美子さんは「長い間ほんとうにありがとう。チョコレートはアマゾンで送ったからね。来年は手渡ししたいなあ」と口にしました。僕は何を答えたのか、答えなかったのかをまったく覚えていません。

手術は長時間になることがわかっていたので、僕一人で待っていて血圧が上がって倒れたりしたらまずいなと思い、後にAfter School Bandのピーターさんになる高橋和義さんに事前に付き添いをお願いしたところ、予定を変更して付き添ってくれることになりました。この寄り添いに僕は本当に助けられました。

手術で緊張するタイミングは開始から2時間ほどと終了予定時間前後です。まず開始直後に手術が終わった場合は転移等により手術ができなかったと言うことです。また予定時間に終われない場合は何らかの問題が起きたからです。最初の2時間を過ぎ一旦はほっとして、午後になり、夕方になり終了予定時刻が近づいてきます。僕は病院から手渡されている連絡用の携帯を握りしめて連絡が来るのを今か今かと待っていました。もうすぐ9時間になろうという頃に携帯が震えて手術が終わったとの知らせを受け取りました。

しばらくして長時間付き添ってくれた高橋さんも帰り、僕は由美子さんとの面会にICUへ向かいました。30分ほど滞在が許されて話ができたことはとても大きな安心につながりました。術後に由美子さんが先生に「悪いところは取りきれましたか」と聞くと「全部取りきりました」との返事をいただいたそうです。僕はこのことをだいぶ後になって知りました。なんかずっと聞けなかったんです。

術後の闘い

手術の翌日からは痛みと不眠との闘いが続きました。また以前から服用していたデパスという精神神経用剤を断つという治療も行われていたので、痛いし眠れないし、頼りにしていたデパスも飲めないし、術後せん妄にも悩まされるし、ととんでもない痛みと苦しみの日々が続きました。普通に言う地獄のようだったことと思います。病院へはコロナの関係でお見舞いには行けなかったのですが、ラインで顔を見て話したり、寝付くまで繋いでいたりとラインは大いに役立ってくれました。

退院までは1ヶ月くらいかかるかもしれないと言われていましたが、なんと由美子さんは術後2週間と1日で退院してきました。

術後抗癌剤と歌

退院後は残された膵臓の機能が落ちているので糖尿の症状が出ないように気をつけなければいけません。糖尿に関しては系列の別病院で診ていただくことになり通院箇所と回数が増えました。2024年中は毎日血糖値の値を測り薬も服用していましたが、今年に入ってからはその必要がなくなり、糖尿の治療はせずに過ごしています。

さて術後2ヶ月半くらいして術後抗癌剤治療を始めることにしました。普通は4週間服用して2週間休むというサイクルですが、先生が「由美子さんは歌うことが一番免疫が上がると思うので、歌うことをメインに考えて抗癌剤のスケジュールを決めましょう」と言ってくださり、2週間服用して1週間休むというサイクルにしてくださいました。

歌うと言ってもそんなにしゅっちゅうコンサートがあるわけではありません。そこで閃いたのがPPMです。高橋和義さんを巻き込んでPPMのコピーで遊ぼうと考えました。PPMのコピーは若い頃に憧れたことですし、これなら3人とも楽しくやれると思ったんです。最初は軽い気持ちで始めましたが、次第に本気モードになってしまい、2024年9月にはライブをやってしまいました。この頃は正式なバンド名はなかったのですが、その後3人での練習の空気が学生時代の放課後みたいだったものですからAfter School Bandなんていう名前を思いつきました。

そして2025年2月には都内デビューとなりました。

ありがとうございます

ここまでお読みくださりありがとうございます。実はYouTubeで再発転移のなかったことをお知らせしようと思ったのですが、収録する力がみなぎってこないのでブログでご報告させていただきました。

術後抗癌剤は2024年の11月までの予定でしたが、身体にダメージを感じるようになり、先生と相談して9月でやめることにしました。

今年の秋にはAfter School Bandのライブのご依頼もいただいていますし、5月には岡山でのコンサーや星野富弘さんのメモリアルコンサート等々予定をいただいています。

 

これからも

今年は2度目の桜を見ることができました。これからも経過観察の結果にドキドキハラハラしながらの活動になりますが、どうぞよろしくお願いいたします。

今日までこうして生かしていただいていることは不思議ですし、ただただ感謝です。そしてさまざまな支援で支えてくださった多くの方々に感謝します。

第2の患者

癌患者の家族は第2の患者と言われます。僕自身メンタルに気をつけながら、音楽家であり由美子さんの家庭内主治医として邁進して参ります。いや!年齢なりに邁進して参ります。いっそ爆進にしておきましょうか。