「居る」と「在る」

ヘンリナウエンさんの「ファンドレイジングの霊性」を読みました。どうして手に取ったのかと言いますと、アリシアの森でクラウドファンディングのサービスを提供しようと考えていることと、自分自身が最初にそのシステムを使って新しい作品のクラファンにチャレンジしようとしているからです。

読み終えてみて、これまで少々漠然としていた考えが整理されました。まずはアリシアの森のことです。

ご存知ない方のために、アリシアの森は名前の冒頭に「クリスチャン・カルチャー・コネクションズ」と記しているんです。文字通りクリスチャンの文化交流ということなので、「ああクリスチャンの人たちのね・・・」と興味を失われた方も多いかもしれませんが、これはクリスチャンの為にというよりはクリスチャンが隣人や世界の為になれるように関りを持てたらという願いからなのです(これが宗教くさいですか)。なのでクリスチャンが力を合わせることは、家族に、お隣に、町に、国に、世界に、何かしら良いことが起きることだと考えています。

アリシアの森はサブスクで運営しています。ざっと言いますと広告の出ないSNSとポータルサイトを合わせたような場所です。この森は少しずつ賑やかになってきていますが、ひょっとしたらそのうちクリスチャンドンキホーテみたいになるかもしれません。

このサブスクでの運営については何度も質問を受けてきました。その度に返答している自分の言葉が足りないと感じていました。特に「サブスクをするメリットは何?」という質問にシンプルかつ明確な答えを返すことができていなかったと思います。

アリシアの森には2タイプの会員が存在します。月額330円で支えてくださっている村人と、無料会員の旅人の方々です。「ファンドレイジングの霊性」を読んで村人と旅人の違いに関してこんな言葉が浮かびました。それは「居る」と「在る」です。旅人は「居る」、村人は「在る」ということなのかもしれないと思ったんです。

やっぱり何を言っているかわかりにくいですよね💦

さて僕の人生を振り返ってみると、わからないことの連続の中を生きてきたと思います。何事もわからないから(わかりきることがないから)続けてきたんだと思います。音楽も信仰もそうです。パートナーの由美子さんだってまだまだ知らないところがあるから、愛したいという思いが生まれるのかもしれません。そしてもちろん自分自身に対してもそうです。

僕はわかってしまったら面白くないんです。だからあまりにシンプルで真っ当な種類のことには照れを感じてしまいます。

元々、母ひとり子ひとりで育った自分は孤独を友達に思えるような人です。しかしそんな自分がコネクションのプラットフォームを立ち上げるなんて、これまたわからないことです。しかしアリシアの森も、今度の自分のアルバムも、自分が、自分で作り上げるというところから変化したいという思いがあります。

私の為にみんながではなく、みんなの中に私が、から生み出されるものが良いものでは、と考えるようになりました。自分の為のみんなではない、みんなの中に在る自分たいな感じでしょうか。

やっぱりなんだかわからないことで終ってしまいましたね。まだまだやなあ。