物語の中に生きているのかも
昨日は「飽和元年」なんていうタイトルで書きましたが(タイトルで書いたなんて行っていますが、書いてからタイトルを引っ張り出しています)、こんな意味不明なことばを面白いと思うのが自分の個性かもしれないと思えるようになりました。
自分自身のことを分析すると最初からテーマを決めて何かを作るということのほとんどない(できない)人間であることがわかります。閃いたら作り始めてしまうわけです。「飽和元年」も文章を書いていて閃くわけですが、「飽和元年」ってなあに?と聞かれても、うだうだと言い訳めいた説明しかできません。ひとことで言えば「だって面白かったんだもん」です。「は!」ですよね。
何が面白かったのかというと語感です「令和元年」みたいに聴こえた(頭の中で)からです。それの何が面白いのかって言われたら「面白いんだからしょうがないでしょう」ってしか言うことができません。昭和のギャグなのかも・・・。
実は昨日ある曲のメロディーラインの再構成をする必要があってトライしていましたが、1音をの音程や長さを変えるとそれに連なって他の音も変えたくなってしまいます。気がつけば違う曲を書いていることになってしまって、何をしているんだか意味不明状態に陥っていました。
思い出すのは、若い頃からですが、文章の「ここを直した方がいいんじゃない」と指摘を受けると文章全体を書き換えてしまうという意味不明な行動に出ることがありました。別に頭に来て全部換えてやる!なんて思ってそうなるのではなくて、何かを換えると他も変わってしまうという自動変換装置が頭の中にあるようなんです。最近はやっと落ち着いて編集者の提案に沿った書き換えができるようになっていますが。
その原因を探ると、ひょっとすると僕は物語の中に生きているのかもしれないなと思いました。例えば桃太郎の話でも、最初の登場人物がお爺さんとお婆さんがじゃなければその後の展開が違ってくるでしょうし、なんなら登場する順番がお婆さんとお爺さんがと逆になれば、その後の展開が違ってくると思います。
ここからは脅しになるわけですが、だから僕が作ったものの一部を換えることは全とっかえになる危険性を孕んでいるんだから慎重に提言してください・・・、だって(笑)。これは完璧な冗談です。元々クラッシュアンドビルドは嫌いじゃありませんのでご遠慮なく。今日はビルドでいきたいなあ。
で最後に。今日のタイトルは格好つけすぎ(笑)。








