誰かの幸せまで

先日ある編集者の方とのやり取りで、少々驚いたとともに考えを新たにしなければいけないのかな、ということがありました。それは無意識に使った「男まさり」と「母性本能」という言葉が性差やジェンダーの問題に抵触するということでした。普段からある程度は性差やジェンダーに対しては学ばなければという思いを持っていましたが、まさかこれらの言葉が抵触するという意識には至っていませんでした。

確かに言われてみれば「男まさり」という表現は男女どちらにも失礼な言い方だなとわかります。しかし母性本能は女性にだけあるのではと思っていましたが、もはやこの考え方が間違っていて、正しくは母性本能ではなく親性脳のことで、それは男女に関係なく育児に関われば育ち、それが女性に限るという考え自体が間違っているということです。そうか、母性本能という考え方や表現は女性に育児を任せっきりの家父長的な文化の中で育ったのかと気がつきました。

昨今は古い文化に新しい文化が強く吹き込んできている時代です、と言ってみたくなりますが、これまでもずっとそのようにして文化は変化してきたんだろうと思います。

ところで性差やジェンダーやコンプラとか、いろいろ言われたら何を基準にして生きれば良いのかわからなくなりますよね。

聖書に登場することばでずっとわからないことばは「愛」でした。もちろん「愛」と口に出すことはできるし、それらしいこともできるけれども、じゃあ何?と問われて答えられない自分がいました。と書いて思いましたが、ひょっとしたら「愛」って言葉じゃないからかもしれません。

しかし変化が激しく時々価値観が問われる今、基準は「愛」だと思えるようになってきました。自分が幸せでいることは大事ですが、自分だけがどんどん幸せになろうとしているのならそれは良くないでしょう。それはひょっとしたら誰かの幸せまで自分のものにしているかもしれないからです。

様々な価値観が乱れ飛んでいる日々に、僕は迷ったら「愛」から考えるようにしたいと思います。偉そうなこと言っちゃったかな💦