左でもなく右でもない

最近は近現代史を学ばなければという思いが強くなり、本を読めば良いのですがYouTubeで勉強を始めています。そうしたらこれまでいかに歴史の上澄み程度のことしか知らなかったのかということがわかって愕然としています。

その中でなるほどと思ったことのひとつは、90年代あたりから歴史問題がイデオロギー問題化してしまい。左ならば「こう」、右ならば「こう」と二極化して考えてしまう傾向が生まれたのだという指摘です。そのおかげで歴史を歴史として捉え直すことが難しくしてしまったという側面があるようです。史実に関してその事象が実際はどうであったかということよりも、あったのか無かったのかという議論になってしまいがちで、本当のことが見えづらくなっているのではないかという指摘です。

近現代史に足を踏入れてみたわけですが、これはなかなかスケールの大きな課題だと思いました。右でもなく左でもない、といういう言い方で良いのであれば、そのような立ち位置で学ぶことができればと願っています。

と書いたらこの曲が頭に浮かんできました。今月2回目の登場かも知れません。

この「ふたつのJ」では右でも左でもない道を探していると歌っています。20年ほど前に作った曲ですが、結局今も同じように探し求めているんだなあと思って少し可笑しくなります。よかったら聴いてやってください。こんな歌詞です。

「ふたつのJ」

ふたつのJ
JAPAN & JESUS
アジアのはずれの街角で
歌う僕の歌

大和なでしこ桜舞う春
蝉時雨の夏が過ぎれば
赤とんぼの空は高く
雪化粧の冬を待ってる

子供は遊び疾風のように
路地裏から夢へ飛び立つ
おぼろ月に浮かぶ思い
目を閉じれば遠く海原

美しい島国で
育った心の真中に
生まれた空しさよ

肩より伸びた長い髪で
通り過ぎた若いあの日に
自由という歌をうたい
帰り道のない旅へ出た

日本生まれでアメリカ育ち
そんなことば聞いたような
手にした夢一夜の夢
たどりつけぬ旅よいずこへ

ちっぽけな歌うたいが
ことばを無くして立ち止まる
美しい島国で

左でもなく右でもない
心に道ををさがしてた
日本人の心のままで
日本人の姿のままで

変わりえぬもの変わらぬもの
夜明けの道を探してた
日本人のことばのままで
日本人の弱さのままで

ふたつのJ
JAPAN & JESUS
アジアのはずれの街角で
歌う僕の歌

I LOVE JAPAN
ふるさとの山
I LOVE JESUS
ここで出会った
I LOVE JAPAN
傷ついた道
I LOVE JESUS
赦しを願う
I LOVE JAPAN
明日が来るように
I LOVE JESUS
道を教えて
I LOVE JAPAN
愛せるように
I LOVE JESUS
祈りささげる