なんと楽しいことでしょうか
何かに凝るって面白いものです。今の僕はフライフィッシング。しかもニジマスやイワナなどの代表的な渓流魚ではなく、雑魚と呼ばれるオイカワを追いかけています。
フライフィッシングを始めるきっかけは映画『リバーランズスルーイット』。オイカワはフィッシングショップの方から教えてもらったのだったと思います。
凝るとはこんなこと。
左の二冊はすでに販売終了したものですがなぜか手に入りました。この「なぜか」というのがかなり凝っている証拠ですね。それだけアンテナを張り巡らしているのでしょう。そして右の小ぶりの本は左の二冊の内容に新しい内容をプラスして先日発行されたものです。
こんな風に何かに夢中になる自分を観察していると、ギターや音楽全般についても独学でやってきた自分の本質は変わらないなと思います。
もうひとつ凝っている(凝っているじゃないか)のはキリスト教。寝床の脇に置いてある本を無造作にピックアップしたのがこの写真。注文カードが挟まっているのは途中まで読んでいる本。
フライフィッシングの方は始めてから1年半が経ちます。この段階まできて思うことは、最後に課題として残るのはキャスティングかなあということです。
キリスト教の方はどうかというと、神様の前に静まって聴くということかなあと思っています。そしてこれが自分に一番できないことかもしれません。
それにしても神様のことは奥が深すぎというか、神様のことを100パーセントわかるということはないですよね。わかった瞬間に神様ではなくなるのかもしれないし、星新一のショートショートにあったように(コンピューターに世界の神様の情報を入れた途端にコンピューターが輝いて消えたという話)自分が神になるという一番まずい状態に陥ったということになるかもしれません。
それにしてもたどり着かないということは人生にとってなんと楽しいことでしょうか。