理論を知っても魚は釣れない

06/24/2023

昨日のブログでフライフィッシングで最後に残る課題はキャスティングのように思う、と書きました。というのも魚に対して、いかに自然にフライを提示するかが肝心だからです。下手なキャスティングをして水面を叩いたりすれば魚たちが散ってしまうのは想像に難くありません。

そのキャスティングを理論的に教えているのがこの本です。

フライフィッシングの冷静な側面が垣間見えてくるのが面白い、キャスティングの分析と実践に役立つ特異な本だと思います。

僕がギターやウクレレを教えるにあたり実践しようとしてきたことはこの本のようなことだなと思います。ここまで体系的に本として固定化できればすごいですね。

下のキャスティングのパワーの分析は僕の押弦の分析によく似ていて面白かったです。

ところが最近微妙な心の変化を感じるようになりました。これまで基礎的なことを分析してことばにして伝える努力を重ねてきましたが、「それはそれとして横に置こうか」という思うようになってきたのです。

それは基礎の本質は心にある、とでもいうのでしょうか、僕自身を基準にして、僕自身の好奇心や探究心を基準にして物事を掘り下げてみてもそれは普遍的ではあり得ないということに気がつき始めたのです。

結局演奏の基礎を構築させるものは理論ではなくエネルギーだということです。そしてそのエネルギーの元はそれぞれの心から発せられるのです。何事も心から始まるなんて「え!」というほど当たり前のことですが・・・。

まあ平たく言えばやる気がなければ始まらないということかな(汗)。

さてキャスティングの本の左にあるのは昨日撮った写真の中にはなかった直近に読んだ本です。友人の出版社の最新刊です。

最近はトランプさんの関係でキリスト教福音派ということばをテレビでも耳にするようになり、ある一定のイメージを与えています。

しかしミュージシャンといっても千差万別なように、キリスト教福音派といっても広うござんすです。根本の出発点は同じでも(例えば宗教改革)、右から左まで(この言い方は微妙に違うかも)個性があります。

で、この本は一気読みしました。どうしてキャスティング理論の本と抱き合わせで書いているのかというと、理論と実践を考える上で僕は関連性を感じたからです。

キャスティングの理論を知ってもそれを現実にするのは実践につきます。理論を知っても魚は釣れません。

楽器も理論を知るだけでは弾けません。

キリスト教もただ知っているだけでは、核にあるいのちに触れることは難しいと思います。

『「霊性の神学」とは何か』はその実践について思い巡らせてくれる本です。僕にとって大切な一冊になりそうです。

好奇心を持って、探求して、探求して、探求してここまできましたが、次は手放すことが待っています。この手放すを実践する時が僕に迫っているのでしょう。

それは「語るよりも聴く」、ということばに凝縮されるのかもしれません。