自分という時間

ここ数日の間に親しくさせていただいていた二人の方の訃報に接しました。どちらの方からも妻が乳癌を発症してから今までいろいろと支えていただきました。普段お会いする機会はなかなかありませんでしたが、折々にやりとりさせていただいたメールではいつも不思議な近さを感じさせてもらってきました。

たとえリアルでお会いする機会は持てないとしても、自分にとって多くの方々の存在が家の柱や鴨居のようになって、自分という建造物を支えて下さっているんだと改めて思わされています。

召されたお二人のおひとりは少し歳上、おひとりは少し歳下です。僕も微妙な年齢になってきました。皆んな同じですが、いつ今の暮らしから離れることになるかはわかりません。

だから今日できることは今日、そして丁寧に生きる・・・、なんて言いがちですが、なんだか最近はただただ感謝することなのかも知れないと思い始めています。

仕事のために・・・、健康のために・・・、といろいろ「ために」はありますが、自分のために・・・、と自分に言ってあげても良いのかもしれません。甘やかしたっていいじゃないか・・・、です。いや本当は休まないと自分を見失ってしまう弱い存在なんだと知るべきということでしょうか。そしてそれは「感謝」につながるように思います。

と言いながら僕も「休む」、と「甘やかす」、の区別がうまくできません。しっかりと「この国病」にかかっているのかもしれません。

しばらくはおふたりのことが頭を離れないことと思います。おふたりの生き様を通して、与えられている「自分という時間」の過ごし方を考えさせられています。

日記

Posted by buchi