風化という現実

昨晩CASのクラウドファンディングの協賛アーティストの方々や、これまで東北応援団 LOVE EASTに関わってくださった方々とのZOOM懇談をさせていただきました。初顔合わせの方々もいらっしゃる中、皆さんが現状報告をしてくださりCASの今後にとって有益な時となりました。予定時間を過ぎても何人かの方が残って話が弾みオンラインミーティング侮るべからずだと改めて思いました。

ミーティングを終えた22時過ぎのコンピューターから横田滋さんがお亡くなりになられたというニュースが飛び込んできました。体調を崩されていたことは存じ上げていましたので、とうとうその時が・・・という思いと共に、そこはかとない虚しさのようなものを感じました。

私が横田さんご夫妻と出会うきっかけは拉致問題解決を訴える曲作りを依頼されたことからでした。正直を言いますとご依頼を受けた当初は、これまで拉致問題について一般的な関心しか持って来なかった自分が曲を作るなんてできないと考え、お断りをする方向で気持ちが固まりかけていました。そんな時、旅先のホテルで観たニュース番組から「今日が横田めぐみさんの誕生日です」と聴こえてきました。画面には横田さんご夫妻の姿が映っていました。

その日は10月5日。私はとても驚きました。というのも10月5日は脳腫瘍を患い8歳で神様の元へ旅立った長女の誕生日だったからです。期せずしてめぐみさんと娘が同じ誕生日。その時に私の中で何かがつながったのです。そうだ拉致問題に強い関心は持って来なかったが、親として娘を思う気持ちは変わらない。親として曲を作ることはできる。お受けしなければ・・・と。

そして作曲をさせていただくことになりました。当初は私が作詞作曲をするというご依頼だったのですが、早紀江さんとお会いしてお話をしていたら、めぐみさんとの思い出話に華が咲きました。「めぐみはひょうきんな娘だったんですよ・・・、普通コスモスって風になびいて揺れるのに、お母さんの植えたコスモスは太くて揺れない・・・、なんて言うんですよ・・・」。そのお話を伺って私は「その光景をそのまま詩にしていただけませんか」とお願いをしました。そして1週間後に「コスモスのように」の詩が送られてきました。メロディーができ、母と娘の歌ということで由美子さんに歌ってもらうことになりました。

YouTubeで探してみたらこんな動画を見つけました。

私事ですが、実はこのコンサートの直前の午前0時過ぎに母が93歳で神様の元へ旅立ちました。眠ることもできずに立ったこの日のステージは忘れることができません。

横道にそれましたが、滋さんがめぐみさんとの再会を果たせなかった事、早紀江さんとご家族にとってどれほど無念だろうかと思います。

私たち夫婦は「コスモスのように」を歌うために新潟市で開催された「忘れるな拉致県民集会」に何度かお招きをいただきました。ある集会後の会食で当時新潟県知事だった泉田裕彦さんと同席させていただいたことがあります。その席で泉田知事は行政関係者の方に「道筋をつけてくれたら私はひとりででも行く」とおっしゃっていた事が忘れられません。拉致被害者の皆さんはそのような気概、意気込みを政治家に期待されていらっしゃることと思います。


今回滋さんの死を通して、私がそこはかとない虚しさのようなものを感じたのは政治家の方々への失望感ということかも知れません。結果論ではなく、また口先だけではなく、増してや票のためなどではなく熱く取り組んでもらう事ができなかった無念さを拉致被害者の方々は感じていらっしゃるのではないでしょうか。

風化という現実。当事者ではない私でも途方に暮れる思いがします。そして私たちの国の姿が見えてくる思いもします。

 

 

日記

Posted by buchi