名もなき生涯
映画「名もなき生涯」を観ました。第二次世界大戦下のオーストリアでヒトラーへの忠誠を拒んで死刑になった一人のクリスチャンの実話です。
毎週日曜夜のWOWOWで上映されていたものを録画して観たのですが、映画終了後にナビゲーターが「クリスチャンには申し訳ないが、家族を捨ててまで信念を貫き通すってどうなんでしょうか・・・」的なコメントをしていました。普通はそう思いますよね。
事実映画の中でも忠誠を誓う書類にサインを迫られる場面で「これは形式なんだから書けば良いんだ」的に表現されていました。本心ではそうでなくてもサインだけすれば死刑は免除される場合、自分だったらどうするんだろうと考えました。
ふと「沈黙」の踏み絵を踏むかどうかを連想してしまいますが、あちらは神に対してなので、独裁者に対する忠誠とはかなり内容が違うと思います。
今日はイースター、イエスキリストが十字架で死んで、墓から蘇られた朝です。日本ではクリスマスは国民的な騒ぎになりますが、イースターはそうではありません。確かに生まれることは僕たちにも理解しイメージすることができますが、蘇りとなると下手をすればホラーの世界になりかねません。ほぼ普通の神経では理解しにくいことでしょう。
しかしクリスチャンの僕はそれを信じています。というか疑っていません。ある意味この救い主が蘇ったということを受けとめ信じることがクリスチャンということなのかも知れません。
このイエスキリストの十字架と蘇りが個人のためなのか、はたまた世界と言いますか、神の創られた被造物全体に及ぶものなのかを思い巡らす日にしたいと思います。