「当たり前」の「美」

当たり前の語源は「当然」にあるそうです。

今日からしばらくはテレビ好きの僕もテレビを観なくなりそうです。そうそれはオリンピック関係の番組や情報が氾濫するだろうからです。オリンピック前はオリンピックによって感染拡大がさらに加速するだろうと危機感を見せていたメディアも、今ではブルーインパルスに始まってオリンピックに侵食されています。

僕はオリンピック反対論者というわけではありませんし、選手の皆さんになんの恨みもありません。中でも7人制ラグビーの試合は気になるので、一旦は録画予約をしたラグビーの試合も全てキャンセルにしました。

どうしてそんな気持ちになっているかと言えば、コロナ対策に感じていた様々なことがオリンピックで極まったと思うからです。要するに「当たり前じゃない」んです。緊急事態宣言下に国公認の大規模競技大会開催なんて理解ができません。とにかく普通じゃありません。

そして結局オリンピックの視聴率が上がってゆけば、「何があったって国民はすぐに忘れるさ」というどこかの誰かの声が聴こえてくるようです。

ところで僕自身も作詞作曲をする時には「当たり前」じゃないことを折り込みながら作ってきました。そこにはある程度勝ち負けの理論が忍び込んでいました。

聖書にはこんなことばがあります。
「昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。」伝道の書1:9

最近観たCMのナレーションで「これまでになかった世界を切り開く、なんちゃらかんちゃら」と言っていました。ふと僕は「騙されないぞ・・・」と反応していました。もはや「これまでにない・・・」なんて虚しく響くだけです。

ひょっとしたらすでに「当たり前」が持っている「美」に目覚める時がきているんじゃないでしょうか。

日記

Posted by buchi