「わたし」から「わたしたち」で

先日観た映画でオペラの作曲家ロッシーニが伏線の彩りとして登場していました。それはロッシーニが大変な美食家であったことです。調べてみるとりその名を冠したステーキがフランス料理の代表なんだそうです。

食べたことはもちろんお目にかかったこともないので、こんな感じなのかどうかはわかりませんが、これがロッシーニだそうです。なんだか物凄いですね。

僕の憧れのひとつがクラシックの名曲を聴いて作曲家を当てられる人になること。じゃあということで「エリーゼのために」は?と自分に質問したら答えは「モーツアルトかな・・・」だって。

調べてみるとベートーベンでした。ちゃんちゃん!

とこれぐらい無知なんです。なんと言いますか曲と作曲家の名前が結びつかないんですよね。「結婚しようよ」が吉田拓郎さんだということはわかるんですが・・・。笑

僕の中で同じように結びつかない感を持っているのが漢字です。〇の漢字は○偏に○だねと言われてもわからないことが多いんです。

このことが一番問題になるのがCDにサインをする時に「名前を入れてもらえますか」と言われた時です。言われるだけで内心焦ります。さすがに林一さんくらいはいけますが、これが早矢仕ですなんて言われると「えーと」ということになるんです。知り合いに早矢仕さんがいるので引き合いに出してごめんなさい。

以前これらの傾向はひたすら勉強不足、修行不足の賜物と思っていたのですが調べてみると学習障害の一種に書字障害というものがあるそうです。僕は個人差がでることに障害と名付けるのには抵抗がありますが、障害だと言われてほっとするというケースもあると思うので一概に良くないということではないと思いますが、最近はなんちゃら障害が多すぎて、じゃあ障害じゃない人ってどんな人なの?なんて思ってしまいます。

どなたかに教えてもらったのですが、どうしてなんとか障害という呼び方が増えているのかというと、研究者の方々が学会で発表される時にネーミングされたものが出回ってしまうということがあるとのことでした。

ということで僕は多分音楽は得意?だと思うんですが、作曲家の名前を曲を結び付けることと、漢字を書くのは苦手です。その感覚はフックに何かをかけようとしても引っかからないという感じに似ています。フックまでは持っていけるんですがなぜか引っかからないんです。

みんなが同じ100%のできることを持っているとして、僕は音楽が40%で漢字は5%みたいになっているのかもしれないですね。こう考えると人がひとりで生きることはあまり良くないですね。「わたし」から「わたしたち」で生きないといけないですね。

日記, 音楽

Posted by buchi