摂理という大きな川が

昨日は病と闘っている妻とケアしている僕を手助けしようと、娘と息子夫婦が来てくれました。娘は子供がまだ小さいので夫に預けて2時間以上車を運転してです。陰で頑張ってくれた義息にも感謝しています。

娘はポトフや炊き込みご飯等々美味しいものをたくさん振る舞ってくれて、作り置きもしてくれました。また「これ良いらしいよ」と自分で調べた闘病の助けになりそうなものをプレゼントしてくれました。僕には「遅くなったけど」と誕生日のプレゼントまで渡してくれました。

息子夫婦もスープやなかなか手に入らない高級クッキーや名店のパン等々を持ってきてくれました。午後には息子が掃除をしてくれたんですが、息子が掃除しているのを初めて見たような気がします。

こうして僕らのためにと食べ物や健康に良いものをいただいてありがたかったですが、一番のプレゼントは子供たちが独り立ちした大人の姿を見せてくれたことでした。これまではどこか僕達に甘えたようなところがありましたが、昨日は彼らが主導権を持って僕らをサポートしてくれていました。子供を持つものにとってこんなに嬉しいプレゼントはないですね。

そして改めて子育てということを思わされました。子育てや教育?というのは、親が丈夫で、立派で、いつも先立って・・・、ということだけではないんだなと。弱さを得た時にも子供はぐんと育つんだと。

ということで昨日は身にも心にも大きなプレゼントをもらいました。妻が病の中にあり、時に不安と恐れに縛られますが、その不安を覆ってくれる大きな摂理を感じます。摂理という大きな川が僕らの恐れを流し去ってくれるように、今日もたゆたゆと流れているのです。


日記摂理

Posted by buchi