練習せい!

最近宅録をMIDIで打ち込み、歌を妻が歌うようになり、気がつけばわたくし、ギターも弾いていなければ、歌も歌っていないじゃあありませんか。コロナ禍にあって演奏のスキルを維持できたのはこの宅録のおかげだったんです。なのでこのままじゃコロナ禍の二の舞になりそうなので、ギターと歌も始動させないといけないように思います。と言っても歌う予定は4月までないので、ふつふつと怠け心が芽を出してくるのであります。

若い頃はそんな僕でもなんとかやれていました。それは体力?というかバカさ?というかがあったことと、思い上がっていたからだと思います。思い上がるのは良くないことかもしれませんが、そういうメンタルがあるからこそプロになろうなどと思い立ち、将来の約束があるわけでもないのに高校を3年の2学期で中退し、アルバイトをしながら歌い続けていました。そんな中僕を後押ししてくださる方が現れ道を開いてくださり、多くの方々のお力をいただいてデビューにまでこぎつけたというわけです。バカな若者をここまで形にしてもらえたなんて、なんとありがたいことかと思います。

しかし今は若い頃とは違って、心身ともに適当にやっていてもOKというわけでは無くなっています。あのさだまさしさんが最近ボイストレーニングを受けているという話も耳にしました。もちろん声を維持しようという思いもあるでしょうが、さらに磨きをかけるという思いもあるだろうなと思います。

僕が心身ともに適当にやれなくなった心の部分は何かというと、ものの良し悪しがよくわかってきたからです。自分でできる最上の演奏をしたい、最上のコンサート空間をもたらしたいという、自分へのハードルを上げてきているからです。そして身体の方はというと体力が衰えたというよりも、ギターを弾くのには不可欠な肩から指先までの腱や関節などが悲鳴を上げつつあるということです。そりゃあコンサートをすればリハを含めれば2〜3時間は弾くわけですし、準備のための個人リハでも弾きますし、レッスンその他でも弾きます。デビューしてから45年以上が過ぎたわけですから、そりゃあ悲鳴もあげるでしょう。ただし歌う時のメンタルは弱まってはいないと思います。だから本当は身体を労わってあげないといけないんですよね。でもストレッチとかクールダウンとかいうのが苦手なんです。きっとまだなんとかなるとどこかで思っているんでしょうね。懲りない男でございます。

とここまでだらだらと書きましたが、腕から指へかけてのストレッチをしながら練習せい!ということですね。