全てのことについて感謝しなさい

僕は数年前からフランシスコ会訳聖書を愛用しています。きっかけは東京基督教大学のY教授に薦められたからでした。そもそもフランシスコ会訳聖書とはなんぞやですが、Wikiをご覧いただくのが良いかと思います。

僕はプロテスタントですがこの聖書はカトリックの方々の翻訳によります。翻訳が開始されたのが1956年とありますから、ほぼ僕と同い年くらいの時間をかけて完成した日本語訳聖書ということになります。特筆できるのは理解を深めやすい翻訳(ことば)と註解が付いていることでしょうか。その分ページ数が多くなっていますので、全巻をそのまま旅に持って行くのは躊躇するボリューム感があります。

僕は毎朝旧約と新訳を1章ずつ読み進めています。新訳はもう何度か繰り返して読みましたが、旧約はやっと終わりが見えてきたという遅々とした進み具合です。今朝はヨナ書に入りました。ヨナ書とは嵐に飲み込まれた船から投げ下ろされたヨナが魚に飲み込まれて、ニネベという街に辿り着いて・・・、ということが書かれている書です(簡単に説明し過ぎてすみません)。

今朝はなぜかそのヨナ書を読みながら、今おかれている状況の様々なことを考えさせられました。そしてしばらくすると全てのことを感謝するべきだなと言う思いが湧いてきたのです。

以前妻が乳がんを患った時に、がんに関する本を読みまくりました。その時に印象深かったのがどの本にも共通して薦められていることが笑うことでした。そしてもう一歩踏み込んでいる本にはがんになったことも感謝することが薦められていました。笑うことまではなんとかできても感謝することはなかなかできません。

今回妻の癌がわかった時にも、笑いや感謝と言うことを思い出してはいましたが、やはりなかなか感謝までは辿り着くことができません。しかし今朝ふと今の現実全てを感謝しようという思いに至ったんです。そしてしばらくそんな静まりの時を持ちました。

その中で、感謝はショックと不安と恐れで流れなくなった心の詰まりを取り去ってくれるものなのではないかということを思いました。不安や恐れに対抗して無理やりに「感謝!」と言ってみるのではなく、不安や恐れを感謝という膜で覆ってあげるという感覚です。

新訳聖書の有名なことばに「いつも喜んでいなさい、全てのことに感謝しなさい、絶えず祈りなさい」とあります。また旧約聖書には律法と呼ばれる神からの決め事がたくさん記されています。この律法を完全に行なうことは無理です。僕はこれらは神からの戒めや勧めではあっても、それは人をどこかに閉じ込めるものではなく、逆に健康に自由に命を謳歌させる為なのだと思っています。それこそこれらを少しずつでも守り行うのならば、免疫細胞が増えて腫瘍もおとなしくなるよ・・・、と聖書が現代に書かれるのであれば記されているような感じがするわけです。

というわけで今朝は思いつく全ての心に引っかかることや傷や不安をあげて感謝しました。それらの傷は直ぐにではなくてもやがて元の状態に癒されてゆくのでしょう。それはあまりに自然なので、その時そのことに気づくかどうかはわかりませんが。なので全てのことについて感謝しなさいなのでしょう。


日記

Posted by buchi