フラストレーション

どなただったかはおぼえていませんが、テレビのコマーシャルが入るタイミングのことを暴力的だと表現している方がいました。放送する側からすればコマーシャルでチャンネルが変えられないようにするために番組の流れのイイトコロでコマーシャルとなるわけです。しかし視聴する側からすれば盛り上がっている気持ちを遮断されて軽いフラストレーションを感じます。

最近このフラストレーションのことを考えることがあります。それは自分達が暮らしている環境がフラストレーションだらけなのではないかということです。時刻通りにバスが来なくてイライラすることもフラストレーションですが、深刻なのは深く静かに潜み続けているフラストレーションです。それは普段意識することがないフラストレーションです。

どんな情報もワンクリックで手に入る現代ですが、肝心のその情報を管理する力はワンクリックでは手に入りません。僕自身、日々「あ〜だ、こ〜だ」と振り回されてしまっている当の本人です。

昨日はそんなことがこの国には起きないと思っていた出来事が起きてしまいました。偶発的なことから戦争に発展することがあるように、昨日のできごとも将来に大きな影響を及ぼす可能性があると感じます。

フラストレーションは人ぞれぞれ違うでしょうが、現代が抱えているフラストレーションの出発点に敗戦国日本があるように思います。改憲派の方々の熱意も無関係ではないのではないでしょうか。誤解のないように書きますが、僕は護憲派というわけではありません。変える必要のあるところは変えたら良いと思うのですが、それは政治家を信頼できるならばという条件付きです。

ところでフラストレーションというものはメンタルな方向へ人を導きます。なので自己防衛が不可欠だと思います。膨大に流れ込んでくる情報を、自分がどこまで整理し、理解し、考え、判断できるのかを知っていなければそれらの情報に引きずられて、いたずらに批判したりことばを荒げる人になりかねません。

昨日の出来事の真相究明はこれからですが、このことで私たちが浮き足立たないようにすることが肝心ではないでしょうか。

最後に安倍晋三元総理とご家族、関係者の皆様に哀悼の意を表します。

 

日記

Posted by buchi