王様の優しさ

若い頃にある音楽事務所の方から言われた言葉を今も時々思い出します。それはその方が僕の歌を「優しい」と言ってくれたことに僕が「僕は優しくはありません」と答えたことに対して返してくれたその方の言葉なんです。それは「じゃあ優しくなりたいんだね」です。

これはその時から今に至るまで僕は時々この言葉を思い出します。歌は祈りだと思っているので、歌には「・・・たい」という思いが込められていると思います。

先日「王様の優しさ」という言葉を知りました。しばらくして意味を調べてみると風邪を引いた奥さんにご主人が「今晩は外で食べてくるから晩御飯はいらないよ」という類のヤサシサであることがわかりました。これって一見優しさのように見えて、奥さんが何を食べるのかは心配していないという自己満足?的な優しさです。夫である本人はめちゃくちゃこれが優しさだと勘違いしてしまいますがね。汗

ふとこの「王様の優しさ」と、僕が言った「僕は優しくない」が繋がって思えたんです。僕は本当の意味での優しさは持ち合わせていないということです。そのことと歌は祈り、を合わせて考えると僕は、だから歌っている、音楽をやり続けている、のかも知れないんです。

しかし今回思ったことは「自分は優しくない」にあぐらをかいているのはそろそろ終わりにしないとということです。自分は優しさの国の新米の気持ちで本当の優しさを学ばなければ、できるようにしなければと思いました。できるかなあ〜できないんだろうな〜という声が聴こえてきてしまいますが、気づいたら優しさの国の箸にも棒にもかからないおいぼれになってしまった、なんてことにならないようにしなければいけませんね。