器用貧乏

僕はいつからか自分のことを器用貧乏だと思ってきました。それは様々なことに興味が尽きることなく湧いてきてはそれらのことを夢中になるものですから、いろいろなことができるようになるものの、飛び抜けてできるところまではいかない人と言う評価です。

その上照れ屋なところがあり、真っ直ぐなことを真っ直ぐに表現するのが恥ずかしいので、グネグネ?クネクネ?としたところもあります。

ここからは「こいつそう言いながら思い上がってんじゃねーの」と言われることを覚悟しつつ思ったことを書きます。

それは1日にギンイロヒコーキで開催した「蓄音機で聴く宮沢賢治と音楽」で。講師の佐々木孝夫さんから音楽を中心にして宮沢賢治のいろいろな姿が紹介されました。

僕の宮沢賢治のイメージと言えば「銀河鉄道の夜」に代表される作品のイメージです。

それは静かに星空を見上げながら、宇宙の果てへ思いを馳せては言葉を紡いでいく、静かな詩人でジーニアスみたいな感じ。

しかし佐々木さんを通して話された宮沢賢治像はかなり違っていました。ざっと言いますと、わさわさと時々の出来事に対し、考え、対処し、対応し、停まり、進み、書く・・・、みたいな感じを受けたんです。少し神格化した宮沢賢治像は後の研究者たちが作り上げたものかもしれません。

そんな宮沢賢治の生き様を通して僕は癒されました。それは器用貧乏でいいじゃないかと思えたということです。もちろん宮沢賢治とは比べようもありませんが、僕は僕のレベルの器用貧乏を楽しめばいいんだと思えたんです。

と言うことでこれからは大手を振って器用貧乏の道を進んで行こうと思います。この先どこまで行けるかな・・・。