コーチングとメンタリング

今日から東京基督教大学での秋学期のレッスンがスタートします。本来は20分のレッスンを8回なのですが、私の場合は40分を4回にさせてもらっています。

ギターを教えることは20前後の仙台ヤマハでのレッスンを皮切りにこれまで断続的にではありますが続けてきました。しかし教えることに関して充分できたと思えたことはありません。

最初のヤマハの場合は決まった教則本があったので楽でしたが、その後は受講者に向き合いながら必要なスキルと必要なメンタルを考えながら行なってきましたので、ゴールがあるようで無く、充分できたと思えないのでしょう。

もちろんゼロから始めてギターがある程度は弾けるようになって・・・や、そこそこ弾ける人が表現ができるレベルに達するということはあるわけですが、欲張りな講師としてはどこへ出しても恥ずかしくないようにしてあげたいと思うわけです。でもそれは自分自身が今でも学び変化し続けているように、特殊な熱意がないと得られないものかもしれません。

さて定期購読しているある月刊誌の特集がメンターについてでした。その中にコーチングとメンタリングのことが書かれていました。自分のレッスンはある意味この両面を持っているのかと妙に納得しました。そして大変なわけだと思いました。

別に僕が受講者のメンターになろうなどとは考えていませんが、演奏はスキルが上がれば良くなるというものではありません。スキルという意味では様々な奏法はありますが、それらを身につけるにはテンポが安定していないといけません。安定しているかどうかのテストをするとしたら演奏の中で4拍休めるかどうかをみればわかります。頑張らずに、無意識に4拍休めるようならばテンポ感が身についていると言えるでしょう。それはテンポの中で弾くことよりも、休むことのほうが難しいからです。

そして弾けるにしても弾けないにしてもメンタル面が無関係ではありません。できないタイプに多いのは考えすぎや音楽に身を委ねられないことなどがあります。要は何も考えずにテンポがとれるのが一番良いわけです。普段歩いているようにです。リラックスして音を楽しめるようになったらしめたものなのですが、それはそう簡単ではありません。

コーチングとメンタリングの違いの中から良い示唆をもらったので、少し気持ちを楽に秋学期は教えることができるかもしれません。今時のアスリートの口からは楽しめたかどうかということばが飛び出す時代ですから、レッスンも楽しくやらなくちゃいけないですね。特に僕が楽しめなくちゃいけないのかな。