特別で特別なこと
昨日は由美子の手術でした。妻の癌がはっきりしたのが昨年の10月24日です。癌の部位に関してはこれまでも公にはしてきていないのですが、本人が希望しない限りSNS等で等では伏せさせていただきたいと思っています。しかし癌としては大変厄介な部類に入る部位の癌です。実は癌を見つけていただいた時点での評価はステージ4で、何も治療をしなければ来年の桜は・・・、と言う状態でした。治療としては通院での抗癌剤投与になるとのことでしたが、自宅から2時間以上もかかる都内の病院では難しいため、近くの病院に転院することとしました。それが今回手術をしていただいた埼玉医科大学国際医療センターです。
転院してからの最初の見立てはステージ4ではないのではないかと言うことででした。そして再度のCT検査の結果ステージ3相当の2と言う診断が下りました。このことは例えどんな深刻な状況でもセカンドオピニオンを受けた方が良いことを如実に表しています。これはステージ4の診断が間違っていたと言うよりは転移と思われる部分が認められると言う判断からのことなので、誤診ということではありません。見立ての問題なんです。しかしそのスタートラインが違えばその後の治療に違いが出てきますので、やはりセカンドオピニオンはマストだと思います。
国際医療センターとしても転移は認められないが手術ができる状態ではないという判断でした。その理由のひとつは由美子の場合重要な血管が一般的ではない位置にあり、しかもそれが癌に近いので手術は難しいということでした。それでステージ3相当という診断になったのです。
抗がん剤治療には手術を前提としての投与と、そうではない投与との違いがありますが、由美子は後者の方でした。それが2クール、回数にして5回の投与をしていただいた後のCT検査で癌がかなり小さくなっていて、病院としては手術をする方針に変更したと告げられたのです。そして手術の予定は2月14日ということでした。あまりに突然のことで僕たちは喜ぶというよりは困惑してしまいました。え!あと2週間で手術・・・、それも命に危険が及ぶような・・・。
翌日当初から予定されていた抗癌剤のH先生の診察とメンタルのO先生の診察があったので、そこで不安な気持ちをいろいろお話しました。H先生は、抗癌剤はやがて効かなくなる時が来ること、効かなくなった場合この癌にはもう1種類の抗癌剤しかないので「これはチャンスです!」と言われたんです。このお話を伺って僕の気持ちは少し固まってきました。このまま抗癌剤の治療を続けていっても限界があること、そしてそれはそう遠くないことがわかったからです。
その後メンタルのO先生は、医者の中で一番慎重なのは外科の先生たちで、無理な手術は絶対しませんとおっしゃり、「私も手術を受けられたら良いと思う」と後押ししてくださいました。そして次第に手術をしていただこうという気持ちが固ってきたのです。
とにかくこの癌で手術ができるのは20%足らずの人だけなんです。そこに辿り着けたということは本当に<特別で特別なこと>だということが分かり始めました。そして手術は怖いし不安だけれども、受けることにしようという気持ちが固まっていったのです。
それからは由美子の心身が手術に耐えられるようにできることに専念しました。これまで続けたきた済陽式食事療法とコウケントーに加えて筋トレと呼吸のトレーニング、そして腸を整えるヤクルトのシンプロテックの服用です。コウケントー以外は入院してからも継続しました。食事療法の方はジュースが飲めない時に服用する顆粒になったものが発売されていてそれを持ち込みました。手術の少し前に入院したのは血糖値等を調整するためでしたが全て順調だったようで、無事に手術当日を迎えました。
手術の予定は8時半からでしたので僕は7時には病院へ着いていました。そして面会手続きをして8時前から病棟入り口で待ち、8時25分頃に歩いて手術室へ向かう妻に付き添うことができました。その後は渡されたPHSを持って院内で待ちます。幸い開放的なテラスがあるのでその一角に陣取ることにしました。そして僕がへたってはいけないので院内のスタバでマフィンとコーヒーの朝ごはんを済ませました。
手術には大きな懸念がふたつありました、まずは早く終わることです。それは開腹した時点ではっきりした転移が認められて手術が中止になることを表します。そんなことがあるとしても開始から2時間以内だろうと思い、ずっと緊張していましたがPHSは鳴りませんでした。
お昼近くになって約束していた友人のTさんが来てくれました。お昼もスタバのものを食べながら過ごしましたが、他愛もない話をしながら過ごせたことは僕にとってとてもありがたいことでした。T さんはまさに僕にとっての伴走者のようで、昨日はどれだけ助けられたか分かりません。由美子や子供たちも僕のことを心配していたので、Tさんが来てくれることがわかってからはとても安心したようでした。
次の手術の懸念は一般の人とは違う血管を癌が浸潤していたらさらに大変な手術になるということでした。その場合は10時間くらいの手術になるだろうというお話を聞いていました。ですので開始から7時間を過ぎたあたりからその不安が頭をよぎり始めました。じわじわと緊張が高まってきて時間の過ぎるのが遅く感じます。もしこの時間をひとりで過ごしていたら、僕はダメになっていたかもしれないと思うくらいの不安と緊張でした。この時もTさんがそばにいてくれて本当にありがたかったです。
そして8時間を過ぎた頃にPHSが鳴りました。手術が終わったんです。まずは先生の説明を聞くのですが、看護師さんに連れられて長い廊下を歩きながら「無事だったんですか?」と聞けないくらい緊張していました。とにかくあらゆる覚悟をして説明を聞きましたが、手術は予定通りに終わり、心配な血管には触らずに終えることができたとのことでした。本当に本当にありがたいことでした。僕は机に頭が付くくらいお辞儀をしました。
由美子の麻酔が覚めるのにはまだ時間がかかるので、Tさんの待っているテラスへ戻りました。Tさんも心配だろうと思い、姿が見えたあたりで両手で大きな丸を作って無事を知らせました。その時窓の外は真っ赤に燃えていました。
しばらくしてPHSが鳴ってICUで面会ができるとのことでした。Tさんとはここでお別れして僕はICUに向かい、多分30分弱そばにいることができました。本人は手術後の混乱もなくしっかりしていました。最後は小さなハイタッチをして病室を後にしました。
今日病院へ連絡をしてみると、ICUから一般病棟へ戻る予定とのことでした。そして痛みがあっても今日からはなるべく歩くようにするのだそうです。
ここまでこれまでの経緯も含めて長い文章になってしまいました。最後までお読みくださりありがとうございます。そして僕たちのことを心にかけてご支援くださり、お祈りくださった多くの方々に心からお礼を申し上げます。そして執刀してくださったチームの先生方を初め皆さんに感謝いたします。
今後合併症等のおそれがあるのは10日後くらいまでのことだそうです。今日からしばらくは由美子さんひとりで頑張らないといけないのが可哀想ですがどうしようもありません。
これはハワイの友人Nさんのために作った応援歌ですが、今は自分たちへの応援歌になりました。
ディスカッション
コメント一覧
まりやさん
ありがとうございます。
特別で特別なことの続きを、祈りの小旗ふりふり応援しています。