美と時

昨晩はアリシアの森の第一回目の『村長とテーマトークお茶会』でした。テーマは「クリスチャンとアート」です。アリシアの森をスタートして半年後に、このような形での語らいの場が生まれたことはとてもとても嬉しいことです。島先克臣さんのテーマトークからスタートした語らいもあっというに間に時間が過ぎてしまいました。

島先さんが話してくださったポイントは聖書の創世記のことばからでした。

神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。創世記 1:31 口語訳
 
この「はなはだ良かった」には美しいという意味があるそうです。
 
語らいの中で参加者の方から「自分が大切にしているのは美しいものを美しいと感じる心」とのことばを聴きました。自分自身を振り返ってみても、美しいものを美しいと感じることに鈍くなっているように思います。それは美しさを感じる心を失いつつあるというよりも、美しさを味わう時を失いつつあるのではないかと思わされました。
 
僕はフリーランスなわけですから、美を感じようと思えばいくらでも自由にできるはずです。しかしいつからか忙しくあることが自分の存在証明のような気分になっていたかもしれないなと立ち止らされました。
 
島先さんは「神は私たちをアーティストとして創られた。神に似せて創られたのは地上を治めるためで、それは美を生み出し、美で覆い尽くしてゆくため。」とも話されました。
 
昨晩のテーマトークお茶会からは僕自身が大きなヒントをもらいました。自分では当たり前だと思ってきた暮らし方を見直してみようかと思います。まずは「時」を作るところからです。

まだ正式に決まってはいませんが、なんらかの形でお茶会のアーカイブができたらと考えています。また次回の『テーマトークお茶会』は島先さんをパネリストに8月16日の開催を予定しています。どちらも決まり次第お知らせします。