光のことは光自身にお任せ

02/08/2023

先日来ずっと欲しいなと思っていたものがありました。それは仕事机の左側にちょっとした明かりなんです。その明かりで本が読めるというほどの明るさでない程度のちょっとした明かりです。時間のある時にあれやこれや物色していたのですが、最終的に決めたのが月の表面を再現したライトです。まあ仕事のお供という感じでしょうか。

ところで昨日のゲネプロを終えていよいよ明日は「月は自由に輝け」のライブとなります。以前このタイトルは出演者の名前をもじったと書きましたが、僕だけ名前ではなくデビューアルバムの「Suoer Moon」にちなんでいます。

実はこの当時最近聞くようになった「Supermoon」という月が大きく見えることを表す単語だとは知らなかったので、Superとmoonの間にスペースを入れてあります。

今でも自分を月に例えることが嫌いではありません。月が好きな理由は自分からは光らないことと、夜を照らすことかなと思います。自分が夜を照らす存在になりたいかもしれませんが、そういう存在だなどとは思っていませんので誤解のありませんように・・・。

これがデビューアルバムのジャケットです。カタカナでも「スーパー・ムーン」となっていますね。

この時から45年が過ぎているわけです。まあこのジャケット撮影を振り返ってみても向こう見ずな男だったと思います。シティーポップのシンガーなのにしっかり日に焼けています。

実は撮影の直前に地元の友人たちと奥松島の海水浴場に泳ぎに行って焼いてしまったんです。分別のある男ならばそんなことはしませんよね。なので45年もよくもまあ活動を継続させてもらえたものだと思います。

なので現在僕が少しの光を持たせてもらっているのはひとえに多くの方々の光をいただいたからです。また苦しみの闇の中で照らしてもらったキリストの光があるからです。苦しみの中だけではなく常にですが。

カルト問題がテレビでも頻繁に取り上げられていますが、宗教がカルトと呼ばれる境界線は何?と思われる方がいらっしゃるでしょう。そのお気持ちはよくわかります。伝統的な宗教でも指導者次第でカルト化することが可能なのでその線引きはとてもデリケートです。もし信仰をもつ持たないに関して強制的な圧力を感じたらそれはちょっと危ないかもしれません。カルトかどうかは大事なことなので慎重であるべきですが、反面信仰でしか見えない道、歩けない道もあると思います。

強制されたり押し付けられたりではない場所(信仰心)で、暗闇に一筋の光を見出すことはあるんです。僕はそれにどれだけ助けられてきたかわかりません。もし自分が強い光を放っていたらそんな一筋の光は見えないかもしれません。なので自分自身は輝きを放つ必要はないと考えるわけです。なんかえらそうにすみません。光のことは光自身にお任せしておこうと思います。

 

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