積極的な白旗

先日あるご夫妻と夫の無駄遣いの話になりました。夫達もそこにいるのに。笑

そこで僕のカメラの話が出たので「僕はカメラを卒業した」と言ったら、妻が「え!」と訝る目で僕を見ました。そう言えば年頭にカメラを売ってカメラを買いましたからね。

卒業したと言っても写真を撮らなくなったという意味ではなく、カメラ沼、レンズ沼から足を洗ったということです。それがどういう意味かと言いますと、このカメラがあれば幸せに、このレンズがあれば幸せになれるんじゃないかという幻がなくなったということです。

今持っているカメラ(写真の)は実用を考え検討に検討を重ねて手に入れたものです。これはギターや機材にも言えることでして、10代の頃はギターへの憧れを持っていましたが、仕事にしてからは憧れで買うことはなくなりました。ちょっと変に聞こえるかもしれませんが、ほぼ誰かの紹介などから出会ったギターを弾いてきました。

なのでなんとギターをこれだけ長く弾いてきたにも関わらず、マーティンやギブソンのアコギを持ったことがないんです。これに関しては持っていてもいいんじゃない?とも思いますが。笑

音楽家をはじめアート関係の仕事をしている場合、仕事と趣味の境界線はあるの?的な疑問を投げかけられる場合がありますが、ある面では無く、ある面では有るということになるでしょうか。

趣味と違うのは自分を満足させるために活動をしているわけではないということです。そういう意味では自分は本人でありながら本人を監督するディレクターやプロデューサーでもあるということでしょうか。自分で「OK!」を出すまで掘り続けるわけですが、その「OK!」は「これ以上できない」という積極的な白旗を挙げたということかもしれません。

ややこしい話になってきましたね。とにかくカメラに関しては「これがあれば良い」というところに辿り着きました。それはひょっとしたら初めてちゃんとカメラくんと対峙できたということかもしれないですね。やっぱりややこしや。汗