イエスと主の祈り

07/21/2023

N.T.ライトという名前を知ったのは10年程前の事です。僕がキリスト教会に通い始めたのは40年以上前のことです。その頃に作ったのがパラダイスという曲です。

この頃に外国からの宣教師の方に「あなたの歌には悲しみがないですね・・・」的なことを言われたことを今でも覚えています。その時は「クリスチャンになったんだからいいじゃないか」と思いましたが、あれから40年過ぎてみれば、クリスチャン、教会、聖書、自分、隣人、等々への向き合い方も大分変化してきました。少し恥ずかしいですが変化というよりは、結果は深化につながることと言った方が正確かもしれません。 なのでもちろん宣教師の言葉の意味がわかるようになりました。

そんな変遷の最終段階で出会ったイギリスの神学者がN.T.ライトさんです。時を同じくしてふとしたことがきっかけで知り合ったのがO先輩です。O先輩とはこんな曲を作ったんですが、先輩が音源をN.T.ライトさんに送ったそうで「オリエンタルな美しい曲ですね・・・」という返事が届いたそうです。

書き始めたらいろいろ思い出してしまってすみません。

N.T.ライトさんの著書で最初に読んだのが「クリスチャンであるとは」だったか「シンプリー・ジーザス」のどちらかだったと思います。正直書かれていること全てが理解できるわけではないのですが、そこに流れているものがとても共感できるものでした。

先日は最新刊の「イエスと主の祈り」を読みましたがやはり印象は同じでしたが、翻訳者によってN.T.ライトさんのどの部分の空気と言いますか個性と言いますかのポイントの置き方に違いがあるなとも思います。とても読みやすかったです。興味のある方は画像をクリックしてお買い求めください。

今回読んでみてそうかと思ったのは文章が論理と絵画を行ったり来たりして詩のような感覚があるんだなと思いました。おそらくそれは神学というハードルの高い世界に、僕のような一般の人でも近づけるように書かれているのかなと思います。

5章の終わりの言葉を紹介します。

私たちが「主の祈り」を唱えつつくらい夜に足を踏み入れたという事実は、夜が明けるときには、単なる歓声ではなく、栄光そのものが目覚めることを意味します。

なんか動画の「夜明けの歌」との親和性を感じました。