お前畑にわしゃ朝Mac
「お前畑にわしゃ朝Mac」と言っても早朝からマックを食べているわけではありません。妻は畑に出かけ、僕はMacの前に座っているということでございます。以前は「わしゃ自転車」だったり「わしゃ釣りへ」だったりもしましたが、ここのところMacの前にいることが格段に多くなりました。それは音楽制作、動画編集、番組収録、番組編集、オンラインミーティング等々、Macによらずにできることがほぼないからです。その上携帯はiPhone、タブレットはiPadですから僕はどうなってしまったんでしょう。一応マックも好きです。
ところで「お前畑にわしゃ朝Mac」は「お前百(歳)までわしゃ九十九(歳)まで」のパロディーですが、この「お前百まで」は究極の男の甘えだと言った方がいました。要は「お願いだから最後まで面倒をみて」ということだと言うわけです。確かに妻の長寿を願っているふりをしつつもそう言う面がなきにしもあらずです。
先日ある方がネットでのやり取りの中で「母性」と言うことばを使われました。「母性」というと親子に限られるようなイメージを持っていたのですが、その方によるとどうやらそれは違うようなんです。女性の持つ母性はさまざまなところに発揮されるようなんです。なので「お前百まで」の根底にはその母性に甘えている男の「あまえ」が潜んでいそうです。そう考えるとある意味男もしたたかなのかもしれません。いや大人になりきれない男が多いと言うことでしょうか。と書いてみて「大人」ってなんだ?と言う疑問が湧いてきました。「あの人は少年の心を持っている・・・」なんて言う褒めことばがありますが、だったら少年でいいんじゃんですよね。
ところで「お前百(歳)までわしゃ九十九(歳)まで」を改めて調べてみるとどうやら「お前」は夫のことで妻が言ったことばなのだそうです。「お前さま」は夫に対する敬語なんだそうです。なんだ全然違うじゃん!と前提が崩れてしまいましたが全ては暑さのせいなんです。この時期はなんでも暑さのせいにしましょう。