そこに居続けられる才能

08/07/2023

1977年日本コロムビアレコードからデビューすることと並行して、コマーシャルの歌を歌わせてもらったり、アニメの歌を歌わせてもらうようになりました。

ふと当時のコマーシャルがないかなと検索してみたら見つけました。7分14秒あたりからです。動画はそこから始まります。

アニメも見つけました。23分40秒あたりのナレーションの後から曲が流れてきます。

アニメで有名なのはなんと言ってもドラえもんの映画の主題歌ですが、それは”ドラえもん 岩渕”で検索していただくとヒットするので興味のある方はご覧ください。

歌の仕事のほかに当時いただいたのがスタジオミュージシャンの仕事です。どうやって始めるようになったのかと言いますと、コロムビアの先輩アーティストでギタリストとして今も活躍されている吉川忠英さんのテストを受けてのことです。

当時の忠英さんのアルバムです。

どんなテストかと言いますと、忠英さんのお宅にお伺いして、忠英さんが目の前で弾いている演奏をその場でコピーして弾くというテストです。おかげさまで一発合格してスタジーの仕事を始めるようになりました。

プロフェショナルのレコーディング経験は自分のアルバムくらいしかありませんでしたので、有名アーティストの方のレコーディングに、有名ミュージシャンに混じって演奏するのは相当に緊張しました。当時は今ほどコードの知識や音楽そのものもわかっていませんでしたから、正直毎回冷や汗ものでした。

というのもレコーディングのスケジュールだけもらってスタジオへ出掛けて、曲はもちろんですが、アーティストの方もそこで初めて知るなんていうことも多かったですから、そりゃあ緊張しますよね。

当時はギタリストの洪栄龍さんから譲っていただいたオベーションのグレンキャンベルモデルを使っていたと思います。

オベーションでスタジオというのは多分僕ひとりだったと思います。今思えば右も左もわからないからできたという感じでしょうか。

例えばこのギターで弾いた、この方のこの曲です。今聴いても自分が弾いたギターだとわかります。

歌の仕事もギターの仕事も順調に・・・、と言いたいところですが、ギターの方は自分が成すべき仕事ができているのかどうかが次第に不安になり、軽いノイローゼ状態に陥ってしまいました。ある時当時華やかだったテレビ番組、「夜のヒットスタジオ」で石川鷹彦さんのトラ(エキストラ)で弾いてくれないかという依頼が入ったのですが、それはもう自分の精神的キャパを超えてしまっていてお断りしました。この辺りがスタジオミュージシャンとして仕事をする限界だと感じて次第に縮小していったのだと思います。

しかし多くの一流ミュージシャンの方々と演奏できたことは自分にとっては大きな財産です。

僕はコロムビアでの3枚目のアルバム制作中に本格的に音楽ができなくなりました。この文章を書きながら、そのことにもスタジオミュージシャンとして感じた精神的圧迫感も影響していたのかもしれないなと思いました。音楽が苦しくなってしまったんです。一流ミュージシャンの中に加えられて生きていくということは、そこに居続けられる才能も必要なことを嫌というほど味わいました。

今日も終われなかったので続けますね。