選挙もアート
首相が次期総裁選挙に出馬しないということから、政治は一気に政局へと向かう様相を呈してきました。コロナはこれまで水面下にあった曖昧さや慣例等々を炙り出してくれているようにも思います。
特に政治の世界は報道によって晒されるという面があるので、これまでなんとなくそうだろうなと思っていた権力構図や影の実力者の素顔がちらちらくっきりと見えてきました。
突然政治のことを書きましたが、7月からアリシアの森の『村長のテーマトークお茶会』で『クリスチャンとアート』という会を持っています。簡単にまとめるとクリスチャンは神が創られた世界をケアする役目があるということです。そしてそれは神に似せて創られた人間に与えられたアートという神の性質を用いるということでもあります。
ふと今の日本の状況を考える時に、本来選挙は国を変えることができるもののはずですから、選挙は良い国づくりのためのアートなんだと思いました。すべての国民の票を一枚の絵にしたものが日本なのだと思ったわけです。コンピューターアートもドットの集まりであることを考えるときにこれは絵空事ではないと思います。
ある学者がこんなことを言っていました。それは「日本はゆるい独裁国家だ」ということです。どういう意味かというと今のように底投票律の選挙が続いていさえすれば、中身がどうであろうとも現在の権力構造は維持されるということです。権力の座から引き落とされることがないからです。
僕はコロナ禍を過ごすことで大切なことのひとつは、いつコロナ前の生活に戻れるのだろうかと過去を振り返らないことだと思っています。コロナ後の生活がどうなるのかはわかりませんが、コロナ後の方を向いて生きることが肝心と考えています。これもアートです。
まずは10月後半にある衆議院選挙をみんなでアートしてみようではありませんか。